今こそ対北外交交渉を

タイトルだけを見て,不思議に思われた方は多いだろう。特に,ふだんの私の主張をよくご存じの各位にすれば,転向したのかと疑われたかもしれない。

しかし,決して,転向したわけではない。それというのも,北朝鮮の核・ミサイル開発に対して,我が国が採るべき軍事的アプローチは,すでに論じ尽くしており,今更改めて言うことはないだけである。

もっとも,3年ぶりの北朝鮮によるミサイル発射を機に,復習しようという意欲あふれる方は,下記をお読みいただきたい。自画自賛で恐縮だが,安全保障の分野では,我が国で最先端のレベルの議論を展開できていると思う(言い換えれば,巷の議論のレベルがそれだけ低いということである)。

2006年7月4日付け「憲法9条をめぐる若干の問題」
http://d.hatena.ne.jp/stationmaster/20060704/1152010286

2006年10月10日付け「北朝鮮先制攻撃の可能性」
http://d.hatena.ne.jp/stationmaster/20061010/1160483767


ところで,最新の世論調査によれば,今回,ミサイル防衛システム(MD)を実戦配備し,迎撃態勢を整えたことについて,過半数の国民は賛成しているようだ。国防意識の芽生えの現れとすれば,頼もしい。

一方で,評論家の中には,「ミサイルを迎撃しようとする対応がどんどんエスカレートして,軍備拡張につながる」などと,主体を勘違いし,軍拡に狂奔しているのはほかでもない北朝鮮であることを忘れたかのような議論をする者もいたし,国会で「迎撃に失敗するかもしれないし,成功したとしてもミサイルの破片が降ってくる」と論じて,野党席からも失笑を買った,社民党の福島党首のような人たちも,いることはいる。ただ,今日の朝日新聞の「天声人語」は,北朝鮮のミサイルについて,「下手なサーカスに頭上で空中ブランコをされるようなもの」と,この新聞にしては真っ当なことを書いており,日本全体として,目が覚めてきたとはいえるだろう。

さて,ここからが今日の本題である。

憲法で,「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼し,戦力を放棄」してしまった日本は,戦後60年あまり,どのような相手に対しても「話合い」が通用するという幻想にとらわれてきた。いざというときには何の力にもならない己の「経済力」を過信し,外交といえば,ひたすら話し合うことだと勘違いしていたのである。その結果,動物並みに話合いの通じない相手である北朝鮮による日本人拉致を防げず,未だに解決できていない。

外交交渉を行う上で,背景にあるのは軍事力にほかならない。日本は,この国際場裏の常識に気付くのが,あまりにも遅かった。あるいは,多くの国民は,まだ,気付けていないのかもしれない。

今回,ミサイル発射を控えた北朝鮮は,日本のMDシステムに過剰反応し,「共和国の『人工衛星』を迎撃すれば,当該迎撃手段だけでなく,重要目標にも無慈悲な報復を加える」などと恫喝してきたが,この事実こそ,軍事力(MDシステム)に裏付けられた我が国の措置が,北朝鮮に対しても一定の通用力を有したことを如実に示している。

そうであれば,飢え死にする国民を放置してミサイルをぶっ放し,「瀬戸際外交」を続ける北朝鮮に対し,日本が採るべき道は,一つしかない。それは,ミサイル攻撃に対しても日本は必要十分な防衛力を有しており,北のミサイルの脅威など取るに足らない,という強い姿勢で外交交渉に臨むことである。そして,これこそが,北の「将軍様」にも理解でき,拉致問題の早期解決につながる唯一の道である。