モロッコ旅行記・第1日

  • 7月21日(水)

福岡→成田→パリ→ラバト(モロッコ

JAL405便は、沈まぬ太陽とともに、シベリア上空を、西へ、西へと飛び、パリ・シャルル・ド・ゴール国際空港に着いた。
すぐに、エールフランス便に乗り継ぐ。搭乗待合室には、いる、いる。頭にスカーフを巻いた女性たち。イスラムの国に行くのだと実感する。ラバトゆきAF1358便は、管制官ストライキにより、出発が2時間遅れ、ラバト空港に着いたのは、夜11時。
空港の両替所は、既に閉まっている。モロッコでは、どれくらいクレジットカードが通用するのか分からない。私は、ATMで、とりあえず200DH(DH=ディルハム。1DHは約10円なので、200DHは約2000円)引き出した。ラバト市内まで、タクシーに乗らねばならず、現金が必要である。

ラバト空港のターミナルビルは、薄暗く、小さい。日本の地方空港並みである。とても、モロッコの首都の空港とは思えないが、一歩外に出ると、ますますその感が強くなる。タクシー乗り場すら、見当たらない。日本のローカル線の駅前の風情である。

近くにいた警察官に、「タクシーは?」と尋ねると、少し離れたところを指差す。目を凝らすと、闇の中に、車が何台か止まっていて、人が手を挙げている。空港に着いて、このようなシチュエーションは、ジンバブエのハラレ以来だ。
私は、そこに向かった。

果たして、私より年上と思われるオンボロベンツが止まっていて、「TAXI」の表示がある。私は、フランス語で、「ラバト市内まで、いくら?」と尋ねた。

"Vingt Euro."

フランス語をかじって3日程度の私でも、それが「20ユーロ」(約2300円)だと理解するのに時間はかからなかった。

思わず、私は、「高い」と、日本語と英語で言った。

ところが、運転手は、私がフランス語を聞き取れなかったと思ったのか、下手くそな英語で、「20ユーロ」と、もう一度言った。

私も、もう一度、「高い」と答えた。

既に、私の周りには、ほかのタクシーの運転手も何人か集まってきていたが、その運転手たちが、口々に、フランス語で「20ユーロ」と言う。言う、というより、叫んでいる、に近い。中には、"Two hundred!"などと、めちゃくちゃ言うものも、いる。あとあと考えて、「20ユーロまたは200DH」ということだったのかもしれない。

いずれにせよ、交渉の余地は、ないようであった。

私は、頷いて、オンボロベンツに乗り込んだ。日本の感覚では、尻込みしてしまう状況だが、世界中でこういう連中と付き合ってきた結果、彼らは、多少ぼったくっても、生命・身体に危害を加えてくることはない。

オンボロベンツは、片側2車線の道路を飛ばし、20分くらいで、ラバト市内のホテルに着いた。

時刻は、モロッコ時間(イギリス時間と同じで、夏期、日本との時差は8時間)で、夜12時。日本を出て、まる1日経っている。

私は、シャワーを浴びると、ベッドに倒れ込んだ。