モロッコ旅行記・第2日

  • 2010年7月22日(木)

「首都ラバトから古都マラケシュへ」

ロッコは、1956年までフランスの保護領であったため、フランスの影響が色濃い(保護領とは、要するに「植民地」であるが、東アジアのどこかの国のように、フランスがモロッコに謝罪したとかいう話は、寡聞にして聞いたことがない)。ラバトのホテルの朝食も、フランス式で、パンとコーヒーだけのコンチネンタルである。

今日は、列車で、内陸の古都・マラケシュへ向かうことにしている。列車に乗るには、駅へ行かねばならないが、私が持っているモロッコのガイドブックには、ラバトの地図が載っておらず、ホテルがどこで、駅がどこやら、さっぱり分からない。

そこで、ホテルのフロントで、タクシーを呼んでもらおうとすると、「どこへ行くのか」と尋ねられる。日本で、タクシーを呼んでもらう時に、行き先を尋ねられることはまずないが、外国では、決まって尋ねられる。

「駅まで」と、フランス語で答える。すると、フロント係は、外を指差して、フランス語で何やら言う。私のフランス語能力は、1歳児以下だから、全く分からない。英語で言ってもらう。

タクシーを呼ぶまでもなく、ホテルの前の道を渡ったところが、めざすべきラバト・ヴィル駅なのだった。

白亜の建物に、"GARE RABAT VILLE"と書いてある。フランス語で、鉄道の駅は"la gare"(ラ・ガール)という。阪急電鉄の「ラガールカード」といい、JR大阪駅の「ギャレ大阪」といい、関西出身者にとっては、なじみ深い単語である。

駅舎に入り、まず、張り出してある時刻表を確認する。一応、日本を旅立つ前に、モロッコ国鉄のホームページを見て、フランス語で苦戦しながらも、時刻表らしきものを発見し、列車の見当は付けておいたが、鉄道を利用するに当たって、時刻表がなければ始まらない。時刻表なしで鉄道に乗るなど、竹刀なしで剣道の試合に出るようなものだ。

9時45分発のマラケシュゆき急行列車があるのを確かめ、窓口で、きっぷを買う。モロッコの列車は、1等車と2等車を連結していて、1等車は指定席、2等車は自由席である。外国でケチケチしても面白くないので、1等の乗車券を買う。マラケシュまでは4時間かかるが、185DH(約1850円)と、日本人にとっては安い。

駅の窓口では現金しか使えず、昨夜、空港のATMで下ろした200DHをほぼ使い切ってしまった。ちょうど、駅舎内に銀行が入っているので、両替しておくことにする。100ユーロ差し出すと、1086.55DHになって返ってきた。私の経験では、米ドル・ユーロ・英国ポンドは、日本で両替しておくほうがレートがよく、その他の通貨への両替は現地で、というのが鉄則である。

ラバト・ヴィル駅のホームは、半地下構造になっている。規模は違うが、スコットランドエディンバラ・ウェーバリー駅を思い出す。

ロッコ国鉄は、ホームの手前で、駅員による改札がある。これは、ヨーロッパ式ではなく、日本式である。

ホームに下りると、なかなか新しい2階建ての近郊電車が停まっている。カサブランカゆきの普通列車で、少し遅れているようだ。カメラを取り出していると、駅員が目ざとく気付いて、「撮ってはいかん」というジェスチャーをする。鉄道の写真を撮って怒られるなど、日本では考えられないが、途上国に行くと、鉄道は、軍事施設に準じる扱いで、撮影禁止というところが多い。これまで、ミャンマージンバブエがそうであった。ロシアや中国も、地下鉄以外は撮影可のはずだが、一眼レフなど向けていると、注意されることが多い。北朝鮮など、射殺されても文句は言えないのだろう。

まったく、鉄道ファンたる者、日本に生まれてよかったとつくづく思うのであるが、私は、その場では駅員の注意に従う素振りを見せておいて、ちゃっかり、その駅員が緑色の長方形のプレートを挙げて「出発指示合図」をしているところまで撮影した。言葉が分からなくても、鉄道屋の一挙手一投足は、見ただけで分かる。

ホーム上には、線路際に、「4V」とか「8V」とかいう看板が建っている。最初は、何のことか分からなかったが、日本では、列車の運転士向けの「停止位置目標」がある辺りだな、と考えて、ひらめいた。フランス語で、「車両」は"voiture"(ヴォワチュール)という。「4V」は、「4両編成停止位置」という意味に違いない。もとより、そんなこと分からなくても、何ら支障はないのであるが。

私が乗る9時45分発の列車は、20分ほど遅れて入線してきた。フランス製の電気機関車を先頭に、前から、1等車2両・2等車7両という編成だ。ホームの真ん中辺りで待っていた私は、1等車に向かってホームを走ることになった。号車別の乗車位置まで案内してくれるJRの親切さは、外国では、当たり前ではないのだ。

1等車の客車は、ヨーロッパ標準タイプの25メートル級客車である。といっても、ヨーロッパの鉄道すら知らない人には全く分からない説明だろうが、日本の在来線の車両より一回り大きく、新幹線相当だと思ってもらえばよい。

客車の外側には、クリーム色にオレンジ色の字で"ONCF"と書いてある。フランス語で、「モロッコ国鉄」の意である。そして、ONCFの文字の下に、ごく小さくアラビア語も併記されている。モロッコ人にとっての母国語はアラビア語で、フランス語は「第一外国語」だが、鉄道では、技術指導に当たったフランス国鉄の影響が強いのか、フランス語が優勢だ。

1等客車内は、1室6人ずつのコンパートメントになっている。最近は、コンパートメント方式の本家・ヨーロッパの鉄道でも、日本のようなオープンサロン方式の車両が増えてきた。懐かしい造りだな、とコンパートメント内を見回していると、室内の鏡に、"SNCF"というフランス国鉄ロゴマークが入っている。現行のSNCFロゴの一世代前の旧ロゴである。鏡だけがフランスのお古というわけではあるまいし、この客車は、フランス国鉄から譲渡されたものなのだろう。

列車は、目測時速120キロ程度で、大西洋に沿った線路を走る。複線電化で、まくらぎはPC(コンクリート)まくらぎ、保線状態はJRの幹線並みに良く、車輪がレールの継ぎ目を拾う音が聞こえないことからすると、ロングレールのようだ。

ラバトから50分ほどで、モロッコ最大の都市・カサブランカのカサ・ヴォヤジール駅に停まる。私一人だったコンパートメントも、定員ちょうどの6人になる。

すると、そこへ、中年の御婦人がきっぷを手に、コンパートメントに入ってきた。しかし、もう席はない。御婦人が何やら言うと、私の向かいの席に座った若者が、きっぷを見直して、「あっ」という顔で席を立った。若者が席を間違えていたようで、一件落着である。

私が、こんな些事をわざわざ書いたのには、訳がある。それは、外国を旅していると、鉄道でも飛行機でもそうなのだが、この種の出来事が実に多いのである。もちろん、日本でも、席を間違って座る人などいくらでもいるが、その発生率には、有意な差があるように思われてならない。

列車は、カサブランカを出ると、大西洋を離れ、東へと走る。内陸に向かうにつれ、車窓がどんどん乾いてゆく。こういう国を旅していると、日本の緑の豊かさが奇跡にも思えてくる。

砂漠地帯の中を、複線電化の立派な線路は、時折カーブしながら続いている。日本のように、地形が険しい国では、線路敷設に当たって自ずと制約があるのも分かるが、びょうびょうと砂漠が広がる中では、このカーブは何のためにあるのかと首を傾げたくもなる。

途中のSettat(セタ)駅から、線路は単線になる。駅のポイント(分岐器)は、JRではあまり見かけなくなった、てこによる手動転換式で、線路際をワイヤーケーブルが這っている。列車行き違いのできる駅では、当務駅長(モロッコ国鉄でもこのような概念があるのかは知らぬが)がホームに出て、列車の通過を看視している。ただ、ぼうっと見送っているだけのようにも見える。

午後2時前、列車は、マラケシュ駅の頭端式ホームに到着した。マラケシュは、この列車の終着駅というだけでなく、アトラス山脈の手前に位置し、モロッコ国鉄線の終点でもある。

冷房の効いた車内からホームに降りると、暑い。が、日本のような蒸し暑さではなく、オーブンのような砂漠の暑さだ。

マラケシュ駅のきっぷうりばで、帰りの列車のきっぷを買っておく。「明後日、カサブランカまで、1等車、13時発、大人1枚」と、フランス語の単語を並べる。通じたようで、若いモロッコ女性の係員は、コンピュータを叩き始めた。私は、あっと思い、一つ付け加えた。「プラース・ドゥ・フネートル・スィル・ヴ・プレ!」(窓側で!)

マラケシュ駅のきっぷうりばには、「VISA」のシールが貼ってあり、クレジットカードが使えるのかと思ったが、駅員は首を横に振る。理由を尋ねたかったが、そんな高等なフランス語は分からない。

駅前には、軽自動車のタクシーが何台か客待ちをしている。その1台に乗り込み、開け放った窓から熱風を浴びながら、ホテルに向かう。京都の四条大橋にあるようなデジタル温度計があり、「40℃」を指している。

ロッコには、市内限定の「プチ・タクシー」と、長距離の「グラン・タクシー」とがあり、プチ・タクシーは、プジョールノーの軽自動車、グラン・タクシーは、ベンツが使われている。どちらも、日本ではとっくにスクラップにされているようなポンコツで、シートベルトも壊れ、エアコンなどないものがほとんど、というより、全てである。

マラケシュは、モロッコの古都で、イスラム時代からの旧市街(メディナ)も、フランス保護領時代に建設された新市街も、全ての建物が、サーモンピンクのような赤色に統一されている。マラケシュ駅の駅舎も、メディナに入る門の近くにあるホテルも、赤い。

あまりに暑いので、町歩きは涼しくなってからにし、ホテルの冷房の効いた部屋のベッドに横になる。

夕方4時ころ、ホテルを出て、メディナに散策に出かける。車など通れない、曲がりくねった狭い路地の両側に、果物屋や肉屋、バブーシュ(モロッコのサンダル)屋、ミントティー屋(所在なげな地元民が集まり、ミントティーを飲みながら雑談している)などが雑然と並んでいる。惣菜のようなものを売っている店もあるが、おびただしい数のハエがたかり、ほとんど真っ黒である。路地には、荷物を運ぶロバのフンが転がっている。

そういう状況であるから、臭い。暑さもあって、顔をしかめずにはいられないが、この雰囲気、嫌いではない。

ケースの中に、生きたウサギを陳列した店がある。ウサギも暑さにぐったりしている。ここは肉屋で、客が注文すれば、その場で絞めてくれるらしい。私は、しばらく立ち止まって、誰かウサギ肉を買いに来やしないかと待っていたが、客は現れず、ウサギの寿命が少しばかり延びた。

メディナの中は、このような路地が入り組んでいるので、めくらめっぽうに歩き回っていると、たちまち道に迷うが、それもまた楽しい。

メディナの中心には、ジャマ・エル・フナ広場が広がる。コブラ使いや、似顔絵描き、怪しげな物を売りつける者などがたむろし、それらをひやかす観光客が集まっている。観光客は、白人がほとんどで、日本人はいない。が、広場周辺に店を構える土産物屋は、私の姿を認めるや、日本語の単語を投げかけてくる。

「見るだけ」「ビンボープライス」などはまだ分かるが、中には、「ヤクザ」とか「バカ」とか言ってくる者もいて、思わず振り返ってしまう。誰が教えたのかと思うが、どうせなら、日本の電波には乗せられないような単語を叫んだ方が、集客効果は高いように思われる。

そのようにして店をひやかしていると、1軒のTシャツ屋の若い男が、何やら言いながら、私の前に立ち塞がって、腕をつかんできた。私が睨みつけて、「お前、しばくぞ」と日本語で警告しても、腕を放さないので、私は、やむなく、その男を突き飛ばした。当然、正当防衛である。

この日の夕食は、日が暮れた後、ジャマ・エル・フナ広場の屋台で、モロッコタジン鍋を使った、煮込み料理を食べた。ホブスというモロッコ風のパンは、フランスパンのようで、なかなかうまい。


ホテルへの帰り、歩くのも疲れるので、タクシーに乗り込むと、年齢不詳のモロッコ人女性と乗り合いになった。モロッコでは、タクシーで乗り合いになることがしばしばある。途中から乗る客は、方向が合えば乗り込み、運転手が言う相応の運賃を払って降りていくという仕組みだ。

その女が、私に「ホテルのバーで飲まないか」と英語で言う。「その後」を期待したい相手なら、誘いに応じたところだが、そのような魅力も感じられぬので、私は、「ノン」と断った。女は、私とは別のホテルの前で、タクシーを降りた。

タクシーの運転手は、車をスタートさせてから、言った。

ムッシュー、あなたは賢明だ」