文系の存在意義

JR西日本ATS-P自動列車停止装置)に設計ミスがあり、計画通りに機能しないまま、長年放置されていた。福知山線ATS-P設置が遅れた一因は、電気(信号)の技術者不足だったといわれる。その上、設置されていたATSまで機能しなかったとは…。

私は、2年前の就活でJR東海を受けた。総合職事務系枠(文系)だったが、人事面接での面接官の一言を、よく覚えている。

「文系は、理系と違って手に職があるわけではない。会社の舵取り役として、いろいろな部門をまとめてゆくのが仕事だ」

これはその通りだが、日本の企業は、あまりに文系偏重のような気がする。文系の総合職の人間の多くは、「俺は幹部候補生だ」というエリート意識に凝り固まって、理系を軽視しがちである。

しかし、語弊を承知であえて言えば、技術革新で世のために貢献する理系と違い、文系は、何ら生産的な仕事をしない。では、何のために文系は必要なのか。自問自答した私は、「将来はどんな鉄道マンになりたい?」と聞かれて、こう答えた。

「現場の社員が、働きやすい環境を作りたいです」

面接官は、「真野君らしいね」と、好意的とも、呆れた、ともとれる反応をされたが、こう答える学生は珍しいだろう。JR東海には高く評価していただき、私の思いは伝わったのだろうと思う。

JR西日本が、ことさら技術を軽視していたとは思わない。だが、東日本や東海と比べて厳しい経営環境のなかで、ガツガツした会社の姿勢は、技術部門や現業職場に、暗い影を落としていたのではないか。会社をまとめ、引っ張ってゆく文系の存在意義が、改めて問われる。