蛙、帰る。

私の母方の祖父母のお墓は、吉野にある。といっても、吉野に住んでいたわけではなく、大阪の千林なのだが、とにかくお墓は吉野にある。

私は、祖先の霊を敬うのは、日本人の「心」だと思っている。先祖を大事にしない者に、「日本人」としての資格はない。その意味で、今は削除されてしまった「刑法200条」(尊属殺人罪)が、「法の下の平等」に反して憲法違反だという発想は、理解しかねる。だいたい、「日本国憲法」のごときアメリカからの「借り物」を、いつまでも金科玉条のごとく有り難がっているこの国を、憂えずにはいられない。

閑話休題。そういう次第であるから、私は、よくお墓参りに行く。祖父が亡くなった5月と、祖母が亡くなった12月は、命日近くに必ず出かける。家族はクルマで行くが、私は、一人で電車で出かける。最寄り駅からお墓までは、歩いて25分くらい。親戚は、「電車で行って、あの距離を歩いてるの!」と驚くが、私には、その反応のほうが驚きである。

いつ頃からか、墓石に、鮮やかな緑色の雨蛙が一匹、住みつくようになった。家族と私は、別々の日に行くことが多くなったが、いつも、同じ場所にいた。わが家では、「生まれ変わり」説まで出て、世が世なら、「神」として崇め奉られたかもしれない。

昨年5月、お墓参りに行った時も、蛙はそこにいた。私は、お供えに持ってきた缶ビールを、墓石に上からかけた。蛙に直接かけたわけではないが、蛙にビールがかかるかも知れないし、かかっても構わない、という「未必の故意」はあった。

それ以来、蛙は、ぱたりと姿を見せなくなった。家族がいつ行っても、いない。あのビールのせいかな、と、私は内心、責任を感じていた。

今日、お昼から吉野へ出かけてきた。麓の水道で水を汲み、墓所まで少し山を登る。墓石に付いた落ち葉などを流すために水をかけ始めて、ハッとなった。

なんと、あの緑の雨蛙がいるではないか!ビールではなく、水をかけられて、喜んでいるようにも見える。

一通り掃除が終わった後、お墓の前に改まって、手を合わせていると、突然、雨蛙が鳴き始めた。小さな声で、少しだけ鳴き、すぐに鳴きやんだ。

あの時の蛙かはわからない。が、ちょっとした「不思議」である。