国鉄(わたくし)は,話したい。

思っていたことが実現するのは嬉しいが,先を越されるとおもしろくない。ヌエのような思いだが,そう思う。

小欄では,現在試行中の「高速道路1000円」施策の始まる前から,高速道路料金の値下げは,環境政策,交通政策に逆行する愚策であって,国益に反すると主張してきた。「1000円」開始初日にはお祭り騒ぎを演じたマスコミは,今更,勝手知ったように「新幹線利用客減」だの「フェリー航路廃止」だのといった,表面的なマイナス面を報道するに至ったが,影響はそれにとどまるものではない。

これまで,新幹線の通っていない地域の都市間輸送は,鉄道と自動車のすみ分けが,曲がりなりにもできていた。そして,JR各社は,黒字路線からの社会的内部補助によって,赤字のローカル線を維持し,地域輸送を担ってきた。

高速道路無料化は,輸送シェアにおける鉄道と自動車の均衡を崩し,JR各社の経営環境を悪化させることは疑う余地もない。それによって,真っ先に影響を受けるのは,通学の高校生やお年寄りなど,交通弱者の足であるローカル線にほかならない。

思い出すことがある。

昭和40年代,国鉄は,社会党共産党の反対などによって,運賃が極めて低廉のまま据え置かれ(国鉄の運賃は,「日本国有鉄道運賃法」という法律で決められていて,国会が空転すると,適時適切な値上げすらできなかった),輸送コストに見合う収入が得られず,経営が急速に悪化した。昭和50年代に入り,ようやく値上げ法案が国会を通過するようになるが,それまで安すぎた分を取り返すため,一挙に「5割値上げ」といったドラスティックな値上げに踏み切らざるを得なかった。

そのような事態を招いたそもそもの元凶は,社共両党なのだが,国民は,一方的に国鉄を批判し,「国鉄離れ」現象を生んだ。この時,国鉄は,国民に対して,国鉄経営の現状を説明し,値上げに理解を求めるため,意見広告「国鉄(わたくし)は話したい。」を展開した。

私は,高速道路無料化に対し,「JRは,話したい。」とでも銘打って,JR旅客6社・貨物会社による共同コミュニケを発表してはどうかと思っていた。

すると,どうだろう。

10月2日付けで,JRグループ7社は,国土交通省に対し,連名で申し入れを行った。

国土交通省への要望書の提出について」(JR東日本
http://www.jreast.co.jp/press/2009/20091001.pdf

JRグループ7社が,このようなかたちでまとまって行動するのは,私の知る限り,国鉄分割民営化以来,初めてのことだ。

「思い付き」の「バラマキ」にほかならない天下の愚策によって,JRグループ7社の結束が強まるというのは,皮肉な話であるが,JRグループには,正論を貫いてもらいたい。

沈みゆく太陽

まだ決まっていない段階で書くのもどうかと思うが,JALの行く末を案じると,書かずにはいられない。

経営再建中のJALが,アメリカのデルタ航空,フランス・オランダのエールフランスKLMなど,外資系航空会社への第三者割当増資を検討している,と一斉に報じられた。

これには驚いた。なぜなら,デルタ航空エールフランスKLMも,「スカイチーム」航空連合のメンバーであり,JALが加盟する航空連合「ワンワールド」とはライバル関係にあるからだ(もっとも,1990年代前半までは,JALデルタ航空と個別提携していた)。

ワンワールド」は,航空会社の規模でいえば,JALアメリカン航空ブリティッシュ・エアウェイズの3社が3巨頭だが,3社共に経営は思わしくなく,経営再建を進めている。「ワンワールド」メンバーにすれば,JALを救いたくても救えない状況なのだ。

JALは,2007年4月1日に「ワンワールド」に加盟したばかりで,仮にすぐに脱退するとなると,百億円規模の違約金が発生する可能性もある。JAL経営陣には,慎重な上にも慎重な判断を望みたい。

それにしても,今回の外資提携には,10年前の「悲劇」を思い出さずにはいられない。

平成11年,JRグループの通信子会社だった日本テレコムは,アメリカのAT&T,英国のブリティッシュ・テレコム(BT)と資本提携し,「日米英の戦略的パートナーシップ」を高らかにうたい上げた。増資の狙いが,携帯電話事業「J-フォン」のネットワーク増強にあることは明らかだった。この時,外資1社に対する増資ではなく,2社に割り当てたのは,特定の外資の影響力が強まることを避けたいという,筆頭株主JR東日本の意向だったといわれている。

ところが,翌年,日米英の3資本でバランスを取るというJR東日本日本テレコムの思惑は,早くも瓦解する。英国BTが,日本テレコム株式を英国ボーダフォンに売却すると,アメリAT&Tも,持株をボーダフォンに売却したのだ。

さらに,日本テレコムの経営をめぐっては,JRグループが必ずしも一枚岩ではなかったことも決定打となった。JR東日本と対立することの多かったJR東海JR西日本は,平成12年秋,ボーダフォンが仕掛けた日本テレコム株式のTOB(株式公開買付)に応募し,持株を手放した。

日本テレコムの経営権を握ったボーダフォンは,成長が期待される携帯電話「J-フォン」と固定電話の分離を図り,平成14年,固定電話事業を子会社に移管し,平成15年には携帯電話の「J-フォン」だけを「ボーダフォン」にしてしまった。

平成16年,固定電話子会社がソフトバンクに売却されて「ソフトバンクテレコム」となり,ボーダフォンが思い描いた「携帯電話事業だけを手中に収める」構図が実現したかに見えた。ところが,ボーダフォンの経営戦略の失敗が響いて業績は低迷し,平成18年,ボーダフォンは,携帯電話会社もソフトバンクに売却して,日本から撤退してしまった。

国鉄の通信部門を母体とし,高度な技術力を誇った日本テレコムは,外資の荒波にもまれる過程で,成長事業を奪われ,事実上崩壊した。全ての経営判断の誤りは,安易な外資導入にあった。

JALが同じ道を歩まないという保証はどこにもない。海千山千のアングロ・サクソンに,日本流の「仁義」は通用しない。JALコーポレートロゴ「Arc of the Sun」が沈みかけている。

交代

政権交代」が時候のあいさつのように飛び交った今日,もう一つの「交代」劇が行われた。

JR西日本山崎正夫社長が今日限りで退任され(取締役としては残られる),佐々木隆之新社長が就任された。山崎さんが社長に就任されたのは,福知山線列車事故翌年の平成18年2月1日のことだった。JR西日本初の理系(技術畑)出身のトップとして,企業風土改革に取り組んでこられた。

山崎さんの社長在任期間は3年7か月で,改めて振り返ってみると,それなりに長い。だが,3年足らずで退任を余儀なくされた垣内前社長より,山崎さんの「御世」のほうが短かったように思う。

おそらく,JR西日本社員の多くも同じ思いに違いない。JR西日本は,あの事故の後,確かに変わろうと努力してきた。組織の行動原理を変えるのは,一朝一夕にできることではない。外部の目から見ると,改革の歩みは遅々としていたかもしれないが,社内の空気は大きく変わったと思う。

小欄では,山崎さんの社長内定にあたって「理系社長への期待」,垣内さんの退任にあたって「垣内さんへ―贈る言葉」と題して,JR西日本に対し,大いなる期待を込めて注文をつけてきた。

「理系社長への期待」(平成17年12月28日付け)
http://d.hatena.ne.jp/stationmaster/20051228/1135781794

「垣内さんへ―贈る言葉」(平成18年1月27日付け)
http://d.hatena.ne.jp/stationmaster/20060127/1138376006

上記で書いたことは,佐々木新社長にも,受け継がれるものと確信する。鉄道会社を取り巻く経営環境は厳しさを増しているが,「良質の危機感」を強く持って,難局に立ち向かってほしい。

余談だが,佐々木社長の就任で,初めて,JR本州3社(東日本・東海・西日本)の社長が3人とも東大以外の出身者となる(東日本の清野さんは東北大,東海の松本さんは名古屋大,佐々木さんは一橋大)。実力あふれるトップとして,各社の経営を背負いつつも,安全対策に,増収に,「オールJRグループ」という連帯意識を持ち,一層の協力を望みたい。

思い出の恋

読者各位は,覚えておられるだろうか。「眉毛師さん」のことを。

2007年1月23日付け小欄「さようなら,眉毛師さん」
http://d.hatena.ne.jp/stationmaster/20070123/1169544678

同年3月20日付け「いつの日か,きっと―。」
http://d.hatena.ne.jp/stationmaster/20070320/1174389239
各参照


今年4月,大阪勤務になり,1年半ぶりに実家に戻った私は,当時通っていた美容院に,再び通い始めた。

もちろん,「眉毛師さん」は,もういない。

今日,髪を切りに行って,当時から変わらぬカットの担当者と話していて,話題が,「眉毛師さん」の近況のことになった。彼女は,今,大阪の福島にある美容院に勤めているらしい。大阪地検のすぐ近くである。

そして,カットの担当者は,こう続けた。
「初めて言いますけど,Tさん(眉毛師さんのこと),stationmasterさんの担当する時は,必ずいったんバックヤードに戻って,香水付けてたんですよ」

私は,とっさに返事ができなかった。

担当者は,続けた。

「stationmasterさんがプレゼントされた絵本,Tさん,すごく気に入って,帰りの電車の中で,そのことずっと言ってましたよ」

2年前の淡い恋のお話。

決断

「その時,歴史が動いた」ふうに我が人生を振り返れば,これまでの「その時」は,平成16年4月2日であった。

当時,就職活動をしていたJR東海の内定を受けず,検察官をめざすことを決意した日である。私を推薦してくれたJR東海のリクルーターは,「人生の決断には,覚悟も必要だよ」と言った。この言葉は,結果的に,リクルーター氏の意向とは反対に作用し,私は,JR東海の人間になることはなかった。

時は流れ,人生の決断の時が,再び訪れた。今度も,ヘラクレスの選択へ―。

壁と卵―村上春樹再評価

高校生の時だったと思うが,国語(現代文)の授業で,村上春樹の作品を読んだ。作品名は覚えていないが,何を言いたいのかさっぱり理解できず,以来,私は,村上春樹の作品に群がる人たちが不思議でならなかった。

「分かりやすい文章」を書くのが最も重要な素質である法律家から見て,作家というのは,分かったようなことを分からない言葉で表現して,読者を惑わせるのが仕事なのかと思ったりもした。

今年2月,同氏がイスラエルエルサレムで行われた「エルサレム賞」授賞式に出席した際のスピーチを聞いて(新聞で読んで),氏に対する見方が,少し変わった。

この時,氏が授賞式に出席することに対しては,批判的な意見もあった。いうまでもなく,国際社会におけるイスラエルの立場に照らしての批判である。

氏のスピーチは英語であるが,こういうことを言っていた。
「高く堅固な壁と卵があって,卵は壁にぶつかり割れる。そんな時,私は常に卵の側に立つ。」

無能な日本のマスコミ(の一部)は,「軍事的アプローチを続けるイスラエルに対する批判」と解釈していたが,私は,それは違うだろう,と思っていた。イスラエルに対する批判なのであれば,そもそも,聴衆が拍手喝采するはずがないのである。

ここでの「壁」とは,軍事力ではなく,人間が作った制度なり,観念といったもの(スピーチ原文でいう"The System")を指している。本来,「手段」であるべきそれらが,自己目的と化し,人間を縛るようになることを批判しているのだ。少しうがった見方かもしれないが,「イスラエルでの授賞式に出席すること」自体を批判する,自称・親パレスティナ派こそ,「壁」にほかならない。

私は,氏のこのスピーチに,「さすが村上春樹だな」と思った。

さて,先日,同じ部に配属されている同期と,村上春樹の話になった。彼女は,氏の新刊の『1Q84』を読んでいた。

私が,村上春樹の作品は好きではない,と言うと,彼女は,「『ノルウェーの森』とか『海辺のカフカ』とかを読むからじゃないの?短編のほうが面白いよ」と言った。

そして,お薦めの短編集を貸してくれた。早速読んでみたが,彼女一押しの「パン屋再襲撃」(『象の消滅』に所収)など,思わず笑ってしまうほど面白い。

「目からうろこ」とはこのことで,いろいろなものの見方が,変わった。

「私は,常に卵の側に立つ。」

愛の鞭

1か月ほど前のことだが,最高裁で,こんな判決が出た。

最高裁第三小法廷平成21年4月28日判決
「小学校の教員が,女子数人を蹴るなどの悪ふざけをした2年生の男子を追い掛けて捕まえ,胸元をつかんで壁に押し当て,大声で叱った行為が,その目的,態様,継続時間等から判断して,国家賠償法上違法とはいえないとされた事例」

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090501112210.pdf

判決全文をPDFで読んでいただければお分かりだと思うが,常識的で,画期的な判決である。いわゆる「体罰」が違法であるのは確かだが,権利意識ばかり強い人たちは,しばしば,前提事実をはき違えた議論をしがちだ。

そもそも,何の理由もなく児童・生徒に暴行を加える教師などいないのであって(そんなことをすれば,れっきとした犯罪である),今回の最高裁判決の事例のように,指導熱心な教師が勢い余って手を出してしまう,というケースがほとんどである。なぜ,教師の手が出るような事態になったのかといえば,当該児童・生徒が,学校生活の中でのルール違反を犯したからにほかならない。その親にしてみれば,鼻息荒くして教師や学校を訴える前に,すべきことがあるはずだ。

今回のケースで,原審の福岡高裁は,判決主文(請求一部認容)を導く上で,一見不要とも思える次のような事実を認定している。
「その間,被上告人(注,「体罰」を受けた児童)の母親は,長期にわたって,本件小学校の関係者等に対し,A(注,教師)の本件行為について極めて激しい抗議行動を続けた。」

具体的な証拠関係を見ていないので軽々に論ずることはできないが,判決が「極めて激しい抗議行動」と書くほどだから,児童の母親は,常軌を逸したような言動に出ていたのだろう。推測になるが,福岡高裁の内心は,請求を認容することに,ためらいがあったのではなかろうか。

今回の最高裁判決は,5人の裁判官全員一致で,教師の行為に違法性はないと判断し,原判決を破棄して児童側の請求を全部棄却した。

この最高裁判決に対して,マスコミの論調は分かれている。産経新聞は,「常識的で妥当な判決」と評価する一方,朝日新聞は「体罰容認論につながる」などと批判的だ。判決に批判的な方がおっしゃるには,「愛の鞭」など存在せず,体罰は児童・生徒の心を傷付けるだけだという。

果たしてそうだろうか。私は,小学校5年生の時だったと思うが,友達とふざけて学校の花壇を踏み荒らし,教室のみんなの前で,担任の先生にお尻を叩かれたことがある。

もちろん,その時は,恥ずかしさもあってショックだったが,それ以上に,「こんなこと,もうするなよ」という先生の叫びが子供心にも伝わってきた。その先生に対して賠償を求めて訴えるなど,思いも及ばないことだった。ちなみに,その先生とは,小学校時代の先生で唯一,現在でも年賀状のやり取りを続けている。

結局,「愛の鞭など存在しない」と言い切る人権派の方々は,尊敬できる教師に出会えていないだけということなのだろう。

それにしても,今回の事件で,訴えられた男性教師と,「女の子数人を蹴るなどした小学校2年生の男子」は,最高裁判決までの6年半を,どのように過ごしてきたのだろうか。失意の教師と,我が物顔でのさばる児童。双方にとって,訴訟などよりずっと良い生き方があったに違いない。