安全は、輸送業務の最大の使命である。

昨日、昨年末の「いなほ」脱線事故以来運休が続いていた、羽越本線・余目−酒田間(JR東日本)の運転が再開された。予め断っておくと、今日の日記は長くなりそうである。

JR東日本は、運転再開にあたり、現場付近に風速計と連動した「特殊信号発光機」(強風時、運転士に危険を知らせる)を設置したり、また、防風柵の完成までは、45キロの徐行運転とするなどの安全策を講じた。併せて、従来は風速毎秒20メートルで警戒、25メートルで徐行(時速25キロ以下)、30メートルで抑止(運転見合わせ)だったものを、20メートルで徐行、25メートルで抑止という、これまでは災害多発線区に限って採用されていた、いわゆる「早め運転規制」を、全線に適用することとした。

皆さんは、これを、どう評価されるだろう。死者が出るだけの事故を起こしたのだから、もっと抜本的な対策をとるべきだ、JR東日本は運転再開を優先させたのではないか―。こういう意見は、もちろんあろう。

本件事故の原因は、「ダウンバースト」と呼ばれる気象現象によるものという見方が濃厚だ。私の知識が正しければ、ダウンバーストは、発達した積乱雲の下で発生する、突発的で急激な下降気流である。今回は真冬に起こったが、夏の「夕立」に伴って発生することもある。乗り物にとっては実に厄介な現象で、10年以上前だったと思うが、着陸進入中の飛行機がダウンバーストに遭遇し、墜落した例があったように記憶している。空港に設置されている気象レーダーは、まさにこのダウンバーストを警戒するものである。

本件事故の原因がダウンバーストによるものとすれば、JR東日本の対策では、防ぎようがない。単純な強風とは、メカニズムが違うからだ。

一昨年の美浜原発事故、昨年の福知山線事故にしてもそうだったが、日本では、事故やトラブルがあると、メディアは「崩れた安全神話」などと騒ぎ、世論は、責任者から「絶対安全」という言質をとろうとする。そして、社長なりが辞任すれば、満足する。並行して、警察による「捜査」が行なわれることもある。その問題点は、昨年12月26日付の日記で指摘したので、ここでは繰り返さない。
http://d.hatena.ne.jp/stationmaster/20051226/1135618244

ただ、一つだけ、声を大にして言いたい。それは、「絶対安全」などありえない、ということである。さらにいえば、マスコミが大好きな「安全神話」なるものは、もとから存在しないのだ。

鉄道が危険な乗り物だ、というわけでは、もちろんない。世界最初の鉄道(リバプールマンチェスター鉄道)が、開業初日(1830年9月15日)に事故を起こしたのは、有名なエピソードだが、以来、鉄道の歴史は、事故との闘い・克服の歴史だった。

読者は驚かれるだろうが、最初の鉄道には、信号や閉塞システムがなかったのはもちろん、満足なブレーキすらなかった。だから、列車が走る前を職員が走って、「汽車が通るぞ!」とやっていた(笑い話ではなくて、本当の話である)。

最初の事故は、駅で線路を横断していた人をはねたというものだったが、ブレーキすらない調子では、当然、列車どうしの衝突のような大事故が起こる。イギリスでも、フランスでも、アメリカでも、19世紀の鉄道旅行は、「命がけ」だった。

現代の鉄道は、その頃の鉄道とは、比ぶべくもない。鉄道保安の基本である「ロック、ブロック、ブレーキ」(連動装置・閉塞装置・制動装置)は整備され、信号も、人為ミスの介在する余地のない自動信号になった(万一、機械が故障しても、青信号が出るべきときに赤信号が出ることはあっても、赤のときに青が出ることは、電気的に決してない。「フェール・セーフ」の原則という)。運転士のミスをカバーするATS(自動列車停止装置)も、昭和37年の三河島事故を契機に、国鉄全線で設置が完了している。

こうして、日本の鉄道は、非常に高い安全性を誇ってきた。とくに、新幹線は、開業以来40年以上、乗客の死者はゼロである。その実績からは、「安全神話」が生まれてもおかしくない。

だが、安全対策の「盲点」をつくような事故も、起こっていた。記憶に新しいものでは、平成12年3月の営団日比谷線脱線事故がある。この事故では、脱線してはみ出した車両の側面に、隣の線路を走ってきた別の列車が衝突し、当時高校生だった少年など、数人が亡くなった。列車が低速でカーブに差しかかったとき、お客様の乗車状況など、車輪にかかる軸重のアンバランスによっては、「せり上がり脱線」という現象が起きる。こういうことは、ほとんど知られていなかった。

昨年の福知山線の事故は、原因こそ、単純な「運転士の過失」だったが、鉄道に携わる人間は、「まさかあんな無茶な運転をする運転士はいない」と考えてきた。事故直後、「時速133キロでカーブに進入」などと報じられたが、私も含めて、「まさかそんな…」と、絶句した。JR西日本の肩を持つわけではないが、当初、JR西日本が「原因は置き石」と発表したのも、鉄道屋にとって、当然の心理だったと思う。

話を風に戻そう。列車が強風で飛ばされる事故は、過去にも起こっていて、昭和9年室戸台風では、東海道本線瀬田川橋梁(膳所−石山間)で、急行列車の客車が川に転落し、11人が死亡している。京都の風速計は、毎秒42メートルを記録していた。

時代は下って昭和61年12月28日、山陰本線餘部橋梁(鎧−餘部)で、回送列車が41メートルの高さから転落、車掌と、直撃を受けたカニ加工工場の従業員が死亡した。この時、餘部風速計は毎秒33メートルを記録、福知山指令センターでは警報が鳴っていた。ところが、冬の山陰では強風はしょっちゅうで、その度に列車を止めていると、きりがない。過去に事故がなかったこともあって、警報が鳴っても、列車を止めなくなっていたのだった。

この事故の後、国鉄JRグループ)では、新幹線も在来線も、風速25メートルで徐行、30メートルで抑止、というルールを厳守してきた。そのさなか、今回の事故が起こったのである。

地震・雷・火事・親父という言葉がある。かなわないものの例えだが、鉄道は、未知の危険と向き合う度に、それを克服する努力を重ねてきた。

お客様に死者が出る「重大事故」になった以上、JR東日本が社会的にバッシングを受けるのは、やむをえないことで、鉄道企業の「宿命」のようなものである。しかし、何度も言っているように、「犯人探し」は、何の役にも立たない。事故の原因を究明し、将来の安全に役立てる。これこそが、犠牲者に報いる唯一の道であるのに、残念ながら、日本の社会は、まだまだ「後ろ向き」だといわざるをえない。

100%の安全というのは、ありえない。だが、そこに一歩でも近づくべく、不断の努力を重ねる。これこそが技術者の使命であり、私たちが理解しなければならないことである。