ヤンゴンより、愛を込めて

18日金曜日、ミャンマーの首都・ヤンゴンに着いた。以来3日間のミャンマーでの体験は、質・量ともに、日本での平凡な1ヵ月のそれをはるかに凌駕する。とても書ききれないので、まず、全体を概観してみることとする。

今回ミャンマーに来た最大の目的・JR西日本から譲渡されたキハ58系気動車の運用を探るため、ヤンゴン中央駅へ。駅員に、予め用意してきた車両の写真を見せたりして聞き込み。物珍しそうに日本人3人組に話しかけてきた、現地のおっさんをも交えて調査した結果、キハ58充当列車が判明。
半信半疑で待つこと2時間、スコールを突いて入線してきた列車は、まぎれもなくキハ58!前も見えないような雨煙の中、後光が差しているかのように感じられた。
われわれは、外国人運賃を払ってその列車に乗り込むのだが、詳細は後日。To be continued...

ヤンゴン最大の市場・ボウジョウマーケットへ。ここで、日本語を話すミャンマー人学生ら4人組と出会う。買い物に付き合ってくれたり、両替を斡旋してくれたりし、チップ目的か、よからぬ魂胆があるのでは、と最初は警戒したが、どうもそうではないらしい。結局、マッサージ店(もちろん、健全な)を紹介してもらったり、夜には一緒にビリヤードまで楽しんだ。キューの持ち方が違うことに驚き、教えてもらったミャンマースタイルにも挑戦してみたが、ファウルを連発した。

朝から、列車で2時間かけてバゴーへ。バゴーの町には、タクシーなどもほとんどない。ミャンマー語のできない日本人3人だけでは、どうなったことか心もとないが、先の4人組のうち2人がバゴーにも同行してくれ、馬車(!)を貸し切り、お寺を回り、ミャンマー風のカレー屋へ案内してくれた。彼らは、これだけ世話してくれるのに、「ガイド料」を要求したり、いわんや追い剥ぎに変貌したりすることは一切なかった。そして、不自由なく日本語を話す。おそらく、われわれと「日本語で話すこと」が、目的なのだろう。
ヤンゴンまでの帰路は、「トラックバス」をチャーター。トラックの荷台に、ベンチを取り付け、幌の屋根をかけた代物で、市民の気軽な足として、荷物代わりに人間を満載して走っている。ヤンゴンへの幹線道路を、時速70〜80キロで1時間以上、シートベルトも、満足な手すりもない、むきだしの荷台で「運ばれる」のは、「死」と隣り合わせのスリルあふれるドライブであった。

今日は、夜の飛行機でバンコクに戻る。最後にヤンゴン市内に別れを告げるつもりが、折からの猛烈な雨のため、ネットカフェに避難し、現在に至る。